リーダーシップ

「知識」を「知恵」へと昇華しよう/朝礼訓話

2024.12.02


【ポイント】

  • 東京駅は、辰野金吾氏により地震対策が徹底され、関東大震災では多くの命が救われた
  • 辰野氏は、ただ建築を学んだだけでなく、地震大国の日本に合った建築を追求し続けた
  • 「知識」を得て終わりではなく、「知恵」へと昇華することが大切

 おはようございます。今日は、建築家の辰野金吾(たつのきんご)氏の話をします。辰野氏は、明治・大正時代にかけて、日本銀行本店、旧両国国技館など、日本を代表する数々の名建築を手がけた人物です。なかでも代表作といわれるのが、1914年に竣工した「中央停車場」こと東京駅。赤レンガに白い花崗岩(かこうがん)を帯状にめぐらせて彩った独特のデザインは、「辰野式」と呼ばれ、その華やかさで多くの人々を魅了しました。

 ただ、辰野氏が設計した東京駅には、もう1つすごいところがあります。それは1923年、関東大震災の直撃を受けたにもかかわらず、ほとんどダメージを負わなかったという頑丈さです。レンガを鉄骨で補強し、地下深くに1万本の杭(くい)を埋めるという辰野氏の設計により、多くの人が難を逃れ、避難場所として機能したのです。辰野氏は、東京駅をはじめ数々の建築において、こうした地震対策を徹底していました。辰野氏は若い頃に英国で建築を学び、海外のさまざまな建築物を見て回りました。そうして培われた海外の建築に対する造詣の深さにより、後に東京駅の設計者に選ばれたわけですが、辰野氏はただ、海外の建築をそのまま日本に持ち込んだわけではありません。かつて自分の家が地震に遭い、恐怖を覚えた経験から、「日本には、地震や火災に強い石やレンガの建物が必要だ」と考え、それを自分が設計者になった際に実現したのです。

 皆さんは「知識」と「知恵」の違いをご存じでしょうか。一般的に、「知識」は情報を知っていること、「知恵」は知識を活かす能力のことを指します。辰野氏は、海外で建築の知識を学んだだけでなく、それを地震大国である日本の特性に合った形へと昇華し、その結果、関東大震災では多くの命が救われました。この点において、辰野氏は偉大な「知恵者」だったといえるでしょう。

 私はこの1年、皆さんに「自分の知らないことを貪欲に吸収してください」と伝えてきました。多くの人が熱心に勉強に取り組んでくれましたが、せっかく得た「知識」も仕事に活かせなければ宝の持ち腐れです。まもなく2024年も終わります。2025年はぜひ、皆さんの得た「知識」を「知恵」へと昇華する1年にしてください。

執筆者

日本情報マート

中小企業の頼れる情報源として、経営者の意思決定をサポートするコンテンツを配信。「開業収支」「業界動向」「朝礼スピーチ」など2000本を超えるコンテンツを有するほか、年間200件以上の市場調査も行っている。現在、50を超える金融機関に情報提供を行っている。