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「脱炭素=産業政策」…日本企業のマインド変えた、パリ協
定後の転機

2026.01.23


政府へ対策強化要請

 「パリ協定」が採択された6年後の2021年、次の転機が訪れた。国際社会はパリ協定で決めた目標を強化し、日本も温室効果ガス(GHG)の新たな削減目標を公表した。脱炭素を目指す方向性が決定的となって産業界の景色が一変。脱炭素が産業政策となり、日本企業のマインドも変わった。

 21年11月、英国で気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)が開催された。パリ協定は産業革命前からの地球の平均気温の上昇を2度C未満に抑える目標を掲げていた。COP26ではより厳しい「1・5度C未満」を事実上の目標に“格上げ”することに合意した。50年のGHG排出量実質ゼロの実現が達成条件だ。

 シンクタンクの地球環境戦略研究機関の田村堅太郎リサーチディレクターは「COP26はパリ協定後の象徴的な出来事。“歴史のあや”も感じる」と振り返る。COP26がコロナ禍で1年延期となったことで、米国で気候変動政策に熱心なバイデン政権が誕生していた。

企業グループ「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」による提言イベント(昨年)

 バイデン氏は21年4月、サミット(首脳級会合)を招集して各国に気候変動対策での結束を求めた。そのサミット直前、菅義偉首相(当時)は国内のGHG排出量を30年度までに13年度比46%削減すると表明。従来の「26%減」からの強化だ。前年20年10月の「50年カーボンニュートラル(GHG排出量実質ゼロ)宣言」に続く“衝撃”的な表明だった。

 パリ協定には、すべての国が5年ごとに目標を更新する仕組みがある。「目標を段階的に引き上げるメカニズムであり、パリ協定の成果。世界全体の取り組みを継続させようとする交渉官たちの工夫と努力があった」(田村ディレクター)と評価する。

「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」共同代表(右2人)による超党派議員への提言(昨年)

 COP26は更新のタイミングでもあった。「1・5度C」への目標強化と各国の目標更新があり、COP26は成果を収めた。その波が日本にも到達し「政策担当者が、いかに産業に脱炭素化を組み込んでいくのかという発想に変わった。環境政策だった気候変動問題が産業政策へと変わるパラダイムシフトが起きた」(同)。

 日本政府は23年2月、脱炭素化に官民合計で150兆円を投じるGX基本方針を決定し、同年5月には脱炭素による経済成長を掲げた「GX推進法」を成立させた。24年2月には、合計20兆円規模となる「GX経済移行債」の初回を発行した。長年、産業界が反対していた排出量取引制度も26年度から導入する。

経営者の問題意識高まる

 政策に先行して企業が動いていた。リコーは17年、50年までに事業活動での排出量をゼロにすると宣言した。同時に電気全量の再生可能エネルギー化を目指す企業連合「RE100」にも加わった。当時、14年発足のRE100には90社が加盟していたが、日本からの参加はリコーが初めてだった。その後、パナソニックホールディングス(HD)やNEC、キリンHDも続き、94社となった。

 菅首相が「46%減」を表明する直前、ソニーグループなど208社が政府に対して「50%削減への挑戦」を要請。記者会見を開いて富士フイルムHDやサントリーHDの役員が対策強化を訴えるなど、企業側からも政府に働きかけた。

 また、19年には中小企業など28社・団体が再生エネ化を推進する「再エネ100宣言REAction」を結成した。脱炭素に向けた産業界の動向が大きなうねりとなり、政策を後押しした。

 19年9月、小泉進次郎環境相(当時)は就任直後、「世界のリーダーが気候変動に対する発言をしない日がない。日本では気候変動がそこまで重要な政策として位置付けられていない」ともどかしさをにじませていた。マインドは変わり、企業は脱炭素政策への支持を表明し、経営者が気候変動問題を語る光景も珍しくなくなった。

 他方、ビジネスの勢力図も変わった。中国企業は世界の太陽光パネル需要の8割を独占するなど、脱炭素市場を席巻する。脱炭素と一体になった産業政策によって日本企業は復権に挑む。

日刊工業新聞 2025年12月05日

松木喬 Matsuki Takashi 編集局第二産業部 編集委員
10年間で気候変動問題への関心が高まったのだと思います。多くの団体・グループが議論し、発信するようになりました。グループ・提言への参加社・賛同数で、企業の意識が可視化されたと思います。

出典:ニュースイッチ Newswitch by 日刊工業新聞社